教えることの大切さ
関西学院大学で以前就職部長をされていた、山野上素充さんが次のように書いておられました。
電車の中で、塾帰りの小学生がアメを食べ、その包み紙を床に捨てているのを目にした。私が、「ぼく、今捨てた紙を拾いなさい」と言って拾わせたところ、これを見ていた友人は「そんなに言わなくても大きくなったら分かりますよ。」と私の行動にクレームをつけた。私は「子どもの時に教えておかないと大きくなってもわからないよ」と言ったが、ちょうど動き出した電車がその場の話題を変えてしまった。
数日後、この友人と駅で出会った。彼はタバコを吸っていたが、電車が来ると、吸い殻をレールに投げ捨てて電車に乗った。おわかりの通り、私の発した言葉は「大きくなっても、注意されないとわからない人がいるのではないか」であった。彼は一本取られてしまった訳である。子どものしつけは親だけのものではなく、社会全体のものである。
聖書の中に、子どもたちにしっかりと教えるべき事がかかれています。二つにまとめるなら、『神を信じ愛すること』『自分を愛するように他の人を愛すること』です。私たちは教えられなければわかりません。注意を受けなければ気づかないことがあります。謙虚に自ら学び、そして伝える責任があります。山野上さんは電車の中で走り回る子どもたちを見て、「頭は一流、心は三流」の大人の再生産ではないかと心配する、と最後にかかれていました。