目指すということ
大阪大学レーザーエネルギー学研究センターの北川米喜先生は、「どうすれば研究なのか、研究の論理」というテーマで次ように書いておられました(一部を抜粋)。
「ヘーゲル先生の論理学という教科書では、学問の目的は神を見いだすことと習った。・・・・・それじゃ神とは何モノ、我はアルファ(初め)なりオメガ(終わり)なりといったと聖書にある。すると神を見いだすのに、初めだけやっていてもしかたがない。最後までやらなければ研究は完成しないし研究とはいえず、ましてや神を見出すことなどありえない。たしかに始めなければすべて無しなのだけれども、それでも終わり無ければ半分の意味もない。それで落着かなかった訳である。完結させてこそであろう。これは論理でなく倫理、研究の進むべき道とおもう。やりっ放しは無責任この上ないと言い換えようか。
やり始めたら最後までやる、どこまでやれば終わりなのか、それはまた難しいが、それを目指して次に進みたいと思う」。
確かにそうですね。始めたら完成を目指す。私たちも、生まれたからには自分なりの人生の完成を目指して進むことが大切ではないでしょうか。『この一事に励んでいます。すなわち、後ろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み・・・・・目標目指して一心に走っているのです』と聖書の中でパウロは語っています。聖書は、私たちに神の愛を示し、あなたにしか歩めない素晴らしい人生を、しかもその目標をも示しています。完成目指して進んでいきませんか。