新らしい発想
ある大学で、キャンパスにきれいに手入れされている緑鮮やかな芝生が植えられていました。しかし問題が一つありました。それは、その芝生が教室のある校舎と食堂のある
建物との間に植えられていたということです。何が問題なのでしょうか。それは、食堂への道を通るよりも、芝生の上を通るな断然近道だということです。言うまでもなく、学生たちはその芝生の上を歩きます。注意してもなかなか聞きません。「芝生立ち入り禁止」「芝生歩行禁止」などの看板も立ててました。芝生の回りを柵で囲んでみました。しかし、学生たちには何の意味もないことでした。看板を無視し、柵を跳び越え芝生を通ります。
係の者が思いあまって学長に相談しました。すると学長は、「それは簡単なことだ。芝生の中に道を作ったらすむことだよ。」と答えました。さっそく、きれいな道を芝生の中につくりました。すぐに、看板も柵も必要なくなり、係の者のストレスも無くなりました。
このことから、「発想の転換の大切さ」を学ぶことができます。「美しい芝生を守るために、学生を芝生に入れない方法は?」から、「芝生を美しく保ちながら芝生広場を通らせるには?」に発想を変えたとき、問題は見事に解決しました。私たちも、問題に対して一方向からではなく、いろんな角度から対処法を考えたいですね。また、学生を変えるのは難しいが、芝生に道を造るのはやりやすいことでした。聖書は、私たちに神様の発想を教えてくれます。私たちには無い、しかも新らしい命の発想です。