考え方に基準を
新聞というと、毎日あたりまえに家に届き、あたりまえに読むものというものでした。実際、日本が世界で最も高い新聞購読率を誇り、日本中の警察署の数16000に対して、21000の新聞販売店が存在しています。しかし最近、新しい世代により新聞に関する考え方の方向が変化し始めています。その原因はインターネネットです。
インターネットの拡がりと共に、特に若い人々は「インターネットで全ての最新のニュースを知ることができるので、これ以上新聞を読む理由がない」と言います。そして、「インターネット上では、異なるソース(出所)からのたくさんの記事を読むことができるし、その記事を比較することができる。もし、わからないことがあれば、検索して見つけることができる。たった一つの新聞だけで、あるいはジャーナリストの見解を信じるのはむしろ危険であり、誤った記事に騙される可能性がいつもある」とさえ言っています。時代の流れの中で、どのメディアの役目も変化して行くのは、むしろ当然と言えるかもしれません。
しかし今は、情報の氾濫の時代です。間違った、あるいは迷わせる情報によって誤った方向に導かれないよう注意しなければなりません。確かな知識とメディアについての理解を保たなければならないし、必要な時には批判的であらねばなりません。そのためには、一つの基準を持つことが重要です。あらゆる時代を通して、人々の考え方の土台となっている聖書こそ、その基準になり得るものです。