あなたを知っておられる神
あるご老人は、その町にある小さなお医者さんへ行くのが好きだそうです。そこの看護婦さんが自分を呼ぶ時に「姓名」で呼んでくれるからだそうです。いつもはどこでも「おばあちゃん」と呼ばれます。「おばあちゃん」と呼ばれても不満はないのですが、姓名できちんとと呼ばれると「本当の自分」を呼んでもらっているようで好きだそうです。私の場合は、夫であり、父であり、牧師であり、おっちゃんですからいろんな呼び方で呼ばれます。しかし、これら全てを含んでいるのはやはり「保田益民」です。
聖書のイザヤ書に、『この方は、その万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名を持って呼ばれる』とあります。神は私たちの名を呼ばれるお方です。私たち一人ひとり漏れることなく知っておられるのです。またヨハネの福音書には、『神は、実に、そのひとり子(キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じるものが、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである』とあります。個人、一人ひとりを愛しておられる神さまです。そして、私たちの髪の毛の数さえご存知なのです。さらに、神が持っておられる『いのちの書』に名前を記してくださるとあります。
すなわち神は、私たちを断片的にではなく、一面だけではなく、すべてを知ってくださっているということです。機械的ではなく、愛と恵みを持って私たちを呼んでくださる方がおられるのです。これは、私たちにとって慰めであり励ましではないでしょうか。