多くの視点
大阪の市内をぐるっと走るJR環状線があります。その中に寺田町という駅があり、 私が「寺田町というのは天王寺の一つ二つ手前やね」と言うと、「いや、天王寺の向こうやで」と友人。実はどちらとも正解でした。友人は天王寺より南から考え、私は北から考えていたからです。笑い話のようですが、いくつかの大切なことが教えられます。
まず正解は一つとは限らないということです。私たちは何かをしようとするとき、近視眼的になりがちです。もうそれしかないとばかりに、他のものを寄せ付けない。良きアドバイスにも耳を傾ける余裕がない。自分に賛同しなければ攻撃するといった状態に陥ってしまいます。しかし、いろんな考え方を受け入れ合い、さまざまな考え方に耳を傾けることにより、広がりが生まれます。もちろん決断は自分でし、責任をもって行わなければなりませんが、客観的に進めていくことができます。そこに、また応用力と余裕が生まれます。
次に、物事には見る角度によってさまざま姿を見せるということです。コップに水が半分入っています。これを「半分しかない」と見るか、「半分もある」と見るかで随分姿が変わります。これは「もう」と「まだ」という視点の違いから来ます。「もう半分しかない」と「まだ半分もある」ということです。半分という事実に対して、前者は失望やあきらめがあり、後者は希望ややる気が感じられます。
聖書は神さまの私たちへのアドバイスの書物でもあります。聖書に耳を傾けるなら、生ける希望のある道を歩むことができます。
0 件のコメント:
コメントを投稿
登録 コメントの投稿 [Atom]
<< ホーム