恵みの風

“すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところにきなさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。”(イエス・キリスト) 兵庫県三田市 北摂恵みバプテスト教会よりお届けします。

2009年10月19日月曜日

秋の特別伝道集会のご案内

10月に入り、秋らしい清々しい日々となってまいりました。
私たちの教会では、今秋も特別伝道集会を下記のように計画いたしました。今回は、「人生は出会いで決まる」というテーマで、聖書からメーッセージをさせていただきます。生まれてから数えきれない出会いがあったことと思います。素晴らしい出会い、少し残念な出会い、感謝な出会い・・・と様々な出会いを経験されたことでしょう。しかし、この集会ではぜひイエス・キリストと出会っていただきたいと思います。
 「人生は出会いで決まる」とは、オーストラリア出身のユダヤ系哲学者マルティン・ブーバーの言葉ですが、キリストとの出会いで、あなたの人生がさらに豊かな人生へと変えられますよう、お祈りしつつご案内申し上げます。
 ぜひ、この集会に起こしくださいますよう、教会員一同心よりお願い申しあげます


                記

 □ 日時 : 2009年11月1日(日)
        午前10時45分より
 □ テーマ: 『人生は出会いで決まる』
        (聖歌隊賛美、体験談もございます)


 *集会には託児があります。また、駐車場もございます。
  10時30分に、三田市役所向かいの日の出証券前に送迎車が参ります。
  ご利用ください。

「ここだな」という時に

旧5千円紙幣の肖像だった新渡戸稲造は、明治・大正時代に国際社会で活躍しました。新渡戸は、その著書の中で自分自身が豊かに生きるための方法を記しています。
それは、「忍耐」「親切」「勇気」「寛容」などを座右の銘とし、それらを<ここだな>という状況と結びつけて自己の啓発とコントロールに役立てたいということです。たとえば、思うようにいかない場合、「忍耐」というのは<ここだな>と考える。すると不思議と辛抱ができるようになる。人に不手際があった時、「親切」とは<ここだな>と思うと、にこやかに援助の手をのべることができる。「勇気」とは<ここだな>と思うと、周りの目を恐れずに志を貫徹していくことができる。他人が自分の悪口を言っても、「寛容」とは<ここだな>と思う。このように、新渡戸稲造は豊かな人生を送ったということです。
実は、新渡戸稲造はクリスチャンで、彼の座右の銘は聖書から来ています。『しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です』(ガラテヤ5章22、23節)。『ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、思い永遠の栄光をもたらすからです』(IIコリント4章16、17節)などです。聖書は生ける神のことばであり、私たちのうちで活きて働くものです。私たちも聖書を座右の銘として、<ここだな>という時に結びつけ、豊かに歩んでいきましょう。

2009年10月6日火曜日

とらわれずに歩む

中村修二さんは、あの青色LED(発行ダイオード)の発明者です。発明当時、徳島の小さな企業で開発をしていました。中村さんは、既存の論文などにとらわれずに、自分が納得できるまで何度も実験を繰り返し、半導体製造装置まで自分でつくって開発したそうです。そして、その材料に選んだのは「窒化ガリウム」という素材でした。窒化ガリウムは高い性能を発揮する可能性があるけれど、安定した結晶膜を作るのが難しいという理由で、大手企業や多くの研究者たちは敬遠したそうです。しかし、その窒化ガリウムで成功したのです。
中村さんについて筑波大学の秩父重英さんは、「日本の研究者は、知識量は豊富だが独自の発想を持てなくなっている人が多い。その点、中村さんは全く常識にとらわれない。だからこそ独自の研究課題を独自の方法で克服できたのではないか」と語っています。ノーベル物理学賞を受賞された尾崎玲於奈さんは、中村さんのことを「マーベリックな研究者」と言いました。マーベリックとは、「焼き印を押していない家畜」のことで、すなわち、中村さんは学界の派閥や常識にとらわれない研究者という意味です。
私たちはどうでしょうか。私たちを取り囲む常識、あるいは実態のない世間の声、いろいろな枠にとらわれてしまっているのではないでしょうか。新しいこと、やってみたいことがあればどんどん挑戦してみましょう。中村さんのような大発見はできないかもしれませんが、そこに、新しいあなたを発見するかもしれません。

2009年9月29日火曜日

マクロとミクロ

日本の気象庁の台風予測は世界一位だそうです。特に、24時間後の進路予測は他の国より2〜4割正確だそうです。上空3万6戦キロメートルにある気象衛星『ひまわり』から広範囲の雲の動きなどの情報を分析し、予測をします。また、医学に大きな貢献をしている分子工学の世界も興味深いです。電子顕微鏡などを使い何万分の1mmの世界の中で、細胞のいろいろな組織、血液に含まれるさまざまな物質、ビタミンやミネラルを調べ、それらがどのように細菌やガン細胞に働くかを研究し、免疫や治療に役立てています。
地球全体のマクロの世界でも、ミクロの世界でもそれを観察し研究するのは人間の目です。私たちも物事を全体から見る目、同時に細かく見る目、この両方の視点が必要ですね。大きいことばかり言って、日常の小さなことをおろそかにしたり、常に日常の細やかなことのみ気をとられ、人生を大局的に見ていない、ということです。
特に私たちは細かところのみにとらわれ、全体がわからず、方向性を見失ってしまいがちです。そんな時、役に立つのは他の人のアドバイスです。自分の見えていないところが、他の人には見えていることが多いからです。そのアドバイスは大切ですね。そして最良のアドバイザーは神ご自身です。神は天から大きな目をもってご覧になっており、また私たちの髪の毛の数まで知っておられる方だからです。このお方に信頼し、神のみことばである聖書を基準として、二つの視点から物事を見ながら、豊かに歩んでいきたいですね。

2009年9月14日月曜日

ノーベル賞のノーベルは少年時代、お父さんから「人々の役に立つ人間になれ」と言われ、それを目標としました。勉強も頑張りました。成績は常に、判を押したように二番でした。一番は、ノーベルの友だちでボギーという少年でした。あるとき、そのボギーが病気になり長期欠席をしました。そしてボギーの病気もなおり久しぶりに登校すると、ちょうどその日にテストが行われました。今度のテストはノーベルが一番になると誰もが思いました。しかし、一番はボギーでした。なぜなら、ノーベルがその日あった授業ノートを、毎日欠かさずボギーの家へ届けていたからでした。「学校で勉強したことをノートしてボギーに届けることが友情の証しである」と考えたからでした。
競争することは必ずしも悪い事ではないと思います。しかし、強いものが勝つという原理だけでは殺伐とした社会になってしまいます。私たちは、互いに競争したり、助け合ったりしながら共に歩んでいくことが大切ではないでしょうか。キリストは『人がその友のためにいのちを捨てる。これより大きな愛はない』と言われました。しかし競争原理の中では、その友さえいないということもあるでしょう。
さてキリストは、そのことば通り十字架でいのちを捨てられました。あなたのためです。それは、あなたを友と考えておられるからなのです。あなたは、キリストが友と認めておられる存在なのです。キリストが代わりに死なれるほど価値がある存在なのです。すばらしいですね。友であるキリストを信頼して歩みたいですね。

2009年8月31日月曜日

自分を知る一つの方法

「人は鏡です。
人のケチな部分に目がいく人は自分もケチです。人のずるいところが気になる人は自分もずるいところを持っています。人の優しさや思いやりに気付く人は、自分も優しさや思いやりを持っています。人の良い部分を見つけることができる人は、それと同じ良いものをその人自身の中に潜在的に持っています。既に開花しているかもしれないし、これから開花するのかもしれません。人は自分の心を写す鏡です。
 人に意地悪をすると、いつか意地悪をされる。人に優しくすると、いつか優しくされる。人を好きになると、いつか人に好かれる。人を敬意をもって接すると、いつか敬意をもって応えてくれる。人をバカにすると、いつかバカにされる。人に与えると、いつか与えられる。人から奪うと、いつか奪われる。人に横柄な態度で接すると、いつか頑固な態度ではね返される。人をからかうと、いつかからかわれる。人に忠告すると、いつか忠告される。人に「うん、そうだよね」と同意をすると、いつか「うん、そうだよね」と同意される。人を助けると、いつか助けられる。人を幸せにすると、いつか幸せにしてくれる。人に感謝をすると、いつか感謝される。ずっと先かもしれないし、今すぐという場合もある。人は自分の態度を写す鏡です。」
 これは、作者不明ですが「ミラーマン」という詩のようなものです。因果応報をおしえているのではなく、他の人の気になる点、他の人の自分への態度を通して自分を知ることができると教えているのです。

2009年8月24日月曜日

傷を負う愛

河原を歩いていると鳴きながら頭上を飛んでいたチドリが、私たちの目の前4〜5メートルほどの所に落ちてきました。そして、片方の羽をバタバタとさせながら、地をはうように体を引きずりながら、苦しそうに動き始め、こちらに近づいてきます。ひとりが苦しむチドリを助けようと手を差し伸べようとしたとき、そのチドリは、少しづつ私たちから離れ出しました。私たちが10メートルほどついて行くと、元気に飛んでいきました。
後で知ったのですが、これはチドリの有名な「擬傷行動」というものだったのです。私たちが、チドリのヒナのいる巣に偶然近づいたので、私たち(敵)からヒナを守るために、自分が傷ついたふりをして巣から十分離れたところまで私たちをさそっていたのです。この擬傷行動は、卵やヒナを守るための自己犠牲に根ざした愛の行動といえるでしょう。多くの鳥たちに備わっている愛の能力です。
母親の愛は自己犠牲の愛といわれます。自分より子どものためにという愛は、本当にありがたいものです。旧約聖書のイザヤ書49章に『女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない』と神のことばがあります。母のような愛(いや母の愛が神のようなのですが)をもって、キリストは私たちのために十字架で犠牲となってくださいました。この神の愛が私たちを取り囲んでいるのです。この愛をしっかりと受け止めましょう。