何とかなる
以前、貴ノ花という力士がいました。ある場所、もし負け越すと(15戦のうち8敗すると負け越し)大関の位から落ちてしまうという大切な場所でした。しかし、四日目で1勝3敗のピンチです。もはや大関残留は絶望視され、新聞では休場説も。しかし、五日目から別人のように勝ち始め、結局終わってみれば10勝5敗という好成績でした。貴ノ花は神経の細かい人で「なんとしても8勝せねばならぬ」と思う。そう思うとかたくなり、かたくなると動きが鈍くなり負ける。負けるとさらに心の重荷になり、考え込み次の相棒に影響する、という悪循環でした。しかし3敗した時、「もうどうなってもいい。大関から落ちてもかまわない。あと全部負けたってしかたないじゃないか」という、一種のあきらめというか悟りというか、そんな心境になったそうです。そして、その夜、大いに食べて飲んで心が晴れ、次の日から連勝したということです。
貴ノ花は自分自身にある「8勝しなければならない」に縛られていたわけです。そうなると持っている力も発揮できません。いい意味でどうなってもいいと思った時、「ねばらならい鎖」から解放されたのです。私たちも、時々「ねばならない鎖」や「どうしようもない鎖」や「もうだめだ鎖」に縛られてしまうことがあります。しかし、いろいろ選択肢はあるものです。さらにすばらしいものがあるものです。聖書は『真理はあなたを自由にする』と教えています。真理ちはキリストであり聖書です。この真理により私たちは何とかなるのです。
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