豆腐のように
明治時代の俳人、荻原井泉水は、人間の柔軟性について豆腐をたとえにして次のように表現しています。
「豆腐は、四角四面の仏頂面だが、柔らかさが申し分ない。身をくずさぬだけのしまりもある。煮ても焼いてもよし、沸きだぎる油で揚げても、寒天の空に凍らしてもよい。また相手を選ばぬ。チリ鍋、すき焼き、おでん、正月の重箱でも、仏事のお皿にも一役買う。実に融通がきく、無我の境地に至っている。それは重い石臼の下をくぐり、細かい袋の目をこして、さんざん苦労したからである」と。
私たちは、多かれ少なかれ自己中心に生きてきました。実は創造主である神は、その私たちを通してご自身の御栄光を現そうとされています。ですから、神は私たちをご自分の栄光を現しやすいように変えようとされているのです。
大豆がいろいろな肯定を経て豆腐になり。その豆腐はさまざまに形を変え、いろいろな料理に使われるように、私たちもいろんなことを通して変えられていくのです。それは時には試練や困難であるかもしれません。その時は苦しいかもしれませんが、『神は愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています』(ローマ8章28節)と約束されたように、神は私たちを慰め励ましながら導いてくださるのです。そして私たちを豊かな存在へと変えてくださるのです。
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