「見えないもの」こそ
中国の宗の時代の文人で蘇洵とう人が、「功の成るは成る日に成るにあらず」と言っています。成功を納めた人は、それまでにこつこつと努力を積んでいたということです。目標に向かって、まずスタートを切り、目標に向かって一歩一歩進んでいくことが大切です。
ニュートンはリンゴが木から落ちるのを見て引力を発見し、湯川博士は電車の中で揺れている吊り輪を見て、中間子理論のきっかけをつかみ、オルファという会社の創始者は、子どもが板チョコを割って食べるのを見てカッターナイフを思いついたそうです。それらは偶然から生まれたと思われがちですが、誰もがリンゴが落ちるのを見て引力を発見できないし、吊り輪を見て中間子理論に行き着きません。板チョコからカッターナイフを思いつきません。それは、これらの人が、いつもそのことについて考え、努力していたからに他なりません。
誰かが成功すると「あいつはツイてる」と言われがちですが、やはりその影には地道な努力が積み重なっていることが多いのです。そこの部分が、他の人には見えないんですね。聖書に『私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこと目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです』とあります。
成功という結果は、時として古いものになり、新しいものに取ってかわられることがあります。しかし、成功の影で、見えないところでなされていた努力は決して古くなりません。その人の血となり肉となって、その人の力となり続けるのです。
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