目を上げて、見る
私たちは普段、身近なことなのに見過ごしてしまっていること、あるいは気づいていないことが結構あるのではないでしょうか。
たとえば、「一万円の裏には何が描かれているのでしょうか?」と聞かれたらいかがでしょうか。すぐに答えられる人は少ないと思います。見てはいるのですが、なかなか思い出せないでしょう。福沢諭吉はわかるけれども、裏はわからないという人が多いと思います。では「千円札の裏は?」と聞かれても「う〜ん」と唸ってしまいます。頻繁に使って、見ているんですが見落としているのですね。ちなみに、一万円札には、国鳥のキジが右を向いて姿勢よく立っています。千円札には、富士山と桜が描かれています。ものごとは、見ているようで見ていないものです。
聖書に、キリストがたとえで語られた、『あなたがたは、「借り入れ時がくるまでに、まだ四ヶ月ある」と言ってはいませんか。さあ、目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈入れるばかりになっています』という言葉があります。麦が実って刈入れんばかりになっているのに、それを見過ごしています。気づいていないのです。理由は、まだ刈入れ時ではなかったからです。
私たちは自分の感覚でしか見れない、そして身近なところであるが故に見過ごしてしまう、ということです。身近なことに、身の回りのことに関心を持ち、目を向けることで、新しい発見があるかもしれません。それは、私たちの人生における大きなチャンスかも知れません。
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