耕せなかった農夫
ヨーロッパに、次のような話しがあります。
「ある農夫が朝早く起き、畑を耕そうとしました。ところが、トラクターの燃料が切れていたので近くまで買いに行きました。途中で豚に餌をやっていないことを思い出し、納屋に餌を取りに行きました。すると、ジャガイモが発芽しているのを見つけました。これはいけないと思い、ジャガイモの芽を取っているうちに暖炉の薪がなくなっていることを思い出し、薪小屋へと。薪をもって母屋へ向かっていると、ニワトリのようすが変である。どうも病気にかかったらしい。とりあえず応急処置を施して、薪をもって母屋にたどり着いた頃には、日がとっぷりと暮れていました。農夫は、やれやれ何とせわしい一日であったかと思いながら、一番大切な畑を耕すことができなかったことに気づいたのは、床に入ってからでした」。
私たちの一日もこういうときがあるのではないでしょうか。しかし、私たちの「一生」がこうであれば大変ですね。聖書の中でキリストはマルタという女性に、『マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良い方を選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません』と言われました。「その時」に、本当にしなければならないことをしなさいという勧めです。私たちも、その時、その時に、やらなくてもいいことをやらず、本当にやるべき事ができるようにしたいですね。
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