傷を負う愛
河原を歩いていると鳴きながら頭上を飛んでいたチドリが、私たちの目の前4〜5メートルほどの所に落ちてきました。そして、片方の羽をバタバタとさせながら、地をはうように体を引きずりながら、苦しそうに動き始め、こちらに近づいてきます。ひとりが苦しむチドリを助けようと手を差し伸べようとしたとき、そのチドリは、少しづつ私たちから離れ出しました。私たちが10メートルほどついて行くと、元気に飛んでいきました。
後で知ったのですが、これはチドリの有名な「擬傷行動」というものだったのです。私たちが、チドリのヒナのいる巣に偶然近づいたので、私たち(敵)からヒナを守るために、自分が傷ついたふりをして巣から十分離れたところまで私たちをさそっていたのです。この擬傷行動は、卵やヒナを守るための自己犠牲に根ざした愛の行動といえるでしょう。多くの鳥たちに備わっている愛の能力です。
母親の愛は自己犠牲の愛といわれます。自分より子どものためにという愛は、本当にありがたいものです。旧約聖書のイザヤ書49章に『女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない』と神のことばがあります。母のような愛(いや母の愛が神のようなのですが)をもって、キリストは私たちのために十字架で犠牲となってくださいました。この神の愛が私たちを取り囲んでいるのです。この愛をしっかりと受け止めましょう。
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