まっすぐ歩む道
先日、松本サリン事件の特集ドラマがありました。オウム真理教による猛毒のサリン散布で多くの被害者がでました。そして、ご自身の奥さまが被害に遭われた河野さんという方が、犯人だと疑われました。「疑われた」というより「犯人だ」と示唆するような報道が相次ぎ、特にテレビのワイドショーなどを見ていた多くの人々が「河野さんが犯人だと思ってしまった」ところに、この事件のさらなる悲劇がありました。
この事件が象徴しているように人間の心理は操作されやすいということですね。特に「群衆心理」というのは操作されやすいものです。エペソという町でパウロたちに対して暴動が起こりました。アルテミス神殿で商売がしづらくなったデメテリオという人が群衆を扇動したのです。それに煽られた群集は何のために集まっているかさえわからない状態でした(使徒19章23〜41節)
私たちは、物事を判断し自分の意見を持つためには基準が必要です。その基準は変わらないもの、どの時代でも、どの人々にも通用するものでなければなりません。『人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし主の言葉は。とこしえに変わることがない』(Iペテロ1章24〜25節)聖書こそ私たちの基準です。主を信頼することは聖書のみことばを信頼するということです。主に信頼し、主のみことばを信頼するとき、主は私たちの道をまっすぐにしてくださいます。すなわち正しく判断して歩んでいくことができるのです。
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