生かされる歩み
わたしはせっけんです。
誰もわたしにありがとうって言いません。
いつも誰かに使われてだんだん小さくなっていくんです。
あわぶくを残してだんだん小さくなってとけてしまうんです。
でも、でも、そのあいだに、
わたしは汚れた子どもの服をきれいにするんです。
おかあさんのエプロンを気持よくするんです。
汗とほこりのお父さんのワイシャツを真っ白にするんです。
わたしはせっけんです。
わたしはなくなってしまいます。
でもいいんです。
子供の服をきれいにするのも、
おかあさんのエプロンを気持よくするのも、
お父さんのワイシャツを真っ白にするのも、
わたしでなくちゃ、できないですもの。
作者不明の「せっけん」という詩です。せっけんがそのままであればせっけんの持っている力を発揮できません。せっけんのせっっけんとしての生き方は、自分を他のもののために使うということです。キリストも『一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます』と言われました。いろんな人や事のために生かされる歩みはすばらしいですね。
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