揺るがない基準
人間には思い込みとか勘違いとかが結構あるものです。私もある場所に車で行くとき、右に曲がらなければならないのをよく左に曲がってしまいます。感覚的にそうなってしまうのです。また、感覚というものは環境や状況などに左右されやすいものです。例えばテレビでの保険のCMで「一日わずか198円で保証します」と宣伝していますが、一ヶ月に換算すると約6,000円です。同じなんですが、一ヶ月6,000円より、1日198円の方が安く感じます。
昔、イギリス海軍の船が地中海を航行していたとき、海図に載っていない、小さいけれども危険な岩礁を発見し、すぐに海軍本部に報告しました。本部は直ちに航行中の全船舶に海図にその危険な場所を書き込むように指令を出しました。そしてその後。最初にその海域を通りかかったのは、熟練した老船長の船でした。老船長がその知らせを受けたとき、「それは変だ。そんな場所はありはしない。私はもうその場所を何度も通って知っている。何かの間違いだろう」と言いました。そして自分の正しいことを証明しようと、海図に書き込まれた危険海域をフルスピードで通り過ぎるよ命じました。果たして、その船はとがった岩にぶつかり沈んでしまいました。老船長が、海図に寄らず、自分の経験と知識を過信した結果でした。
私たちは、自分の経験、知識、感覚など、判断の土台となるべきものを持っています。しかし、どのような状況や時代、価値観の中でも変わらない基準である聖書を一番の土台としたいものです。
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