夕があり朝があった
先週に続き時間に関することをもう一つ。
作家であり動物の達人「ムツゴロウ」こと畑正憲氏の著書の中で、アフリカでの体験を読んだことがあります。ある村でムツゴロウさんの歓迎会が行われました。ごちそうは豚の蒸し焼きです。みんなで穴を掘り、焼いた石を敷き詰め、大きな葉っぱで豚を包み、石の上に置いて土で覆う。そしてここからが問題です。美味しい豚の蒸し焼きができあがるまでの、時間にして2〜3時間ほど(ムツゴロウさんはその時時計を持っていなかった)を、村の人々が行ったことは「待つ」ということでした。ただ、焼きあがるのを輪になって待っていたのです。ムツゴロウさんはそに間、何をしたらいいかわからなかったそうです。しかし、できることは「待つ」ことのみです。ムツゴロウさんは、しだいに風の音、日が暮れていく美しい情景、人々の表情、そして焼きあがる豚への期待など、あらためてその時間の大切さに気ついたということです。何もしないで待つ時間をもったいないと考えずに、待つ時間を待つために過ごすことが人間には大切だとムツゴロウさんは教えられた、と言っていました。
旧約聖書の創世記に、『こうして夕があり、朝があった』とあります。朝起き、昼働き、そして夕に休むというリズムは人気には基本的に大切ばリズムです。一つの時間に一つのことをし、基本的なリズムで生活する。私たちも、自分なりの生活リズムを見直し、自分らしく生活したいですね。
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