いのちの若さ
17世紀のフランスにバンスラードという詩人がいました。晩年バンスラードは、人と出会うと必ず「近頃は年をとりましてね」と口癖のように言っていました。しかし相手が、「私も同様に年をとりましたよ」などとあいさつを返されたりすると、たちまちご機嫌ななめになったそうです。「年をとりしたね」という詩人の言葉の中には、「いや、そんなことはありませんよ。とてもお元気でお若く見えます」と言われたい気持ちが入っていたのでした。「もう年だから」という言葉の裏には、本当は若く見られたいし、自分でもまだ若いと思っていたいという心があるわけです。
聖書に、『ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています』とあります。確かに私たちの体力や記憶力などは衰えていくでしょう。しかし、長年積み重ねられた「経験」は大きな力です。日々、さまざまな経験を重ね、私たちの内面は新しくされています。新しいとは時間的なことではなく、経験を積むことによって人格的に厚み増し、日々成長していくということです。
私たちは、認めるべきところは認めることが大切ですね。認めないと辛いししんどいです。弱さを認めるなら、強さが見えてきます。弱さに目がいき、強さや良い点が見えなくなってしまうからです。今まで人生を送ってきた経験、その中から得た知識や経験則は他に代え難いものです。日々新たにされる自分に目をむけましょう。
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