塩味のきいた言葉
アラビアのことわざです。私たちが語る言葉は、私たちの口から出る前に三つの門を通らなければならないそうです。まず第一の門で門番が、「それは真実ですか」と尋ねます。無事通過すると第二の門です。門番から、「それは必要ですか」と聞かれます。第二の門も通過すると、いよいよ最終の門です。「それは親切な言葉ですか」と門番から質問を受けます。三つの質問に合格して始めて、その言葉は口から出ることができるのです。
もし私がアラビアに住んでいたら、間違いなく無口にならざるを得ないでしょう。私たちの言葉には、嘘や偽りで飾られ、大げさだったり歪んでいたりして第一の門で渋滞しそうです。本当に必要がと聞かれると、「う〜ん」となってしまいます。また、思いやりのある言葉なのかどうか。三つの門を通るのはやさしくはありませんね。
もちろん、いつもこのように考えて言葉を選んでいたらストレスの固まりになりそうですが、少しは注意することは大事ですね。聖書に、『あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります』(コロサイ4章6節)とあります。言葉は、単なる伝達手段ではなく、人格と人格、いのちといのちを結ぶものです。言葉によって人を傷つけたり、引き落としたりします。そして言葉によって励まし、慰め、引き上げることもできます。三つの門を無事通過できる言葉を語りたいですね。
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