恵みの風

“すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところにきなさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。”(イエス・キリスト) 兵庫県三田市 北摂恵みバプテスト教会よりお届けします。

2015年4月2日木曜日

ゆずり合う清々しさ

 江戸時代、明治維新まで140年間続いた懐徳堂という学問所が大阪にありました。そこで教育に尽力した一人、中井履軒という人がいました。
 ある日、履軒が骨董屋で古い刀の鍔(つば)をみつけました。気に入ったので値段も聞かず主人に四分銀をわたすと、「この品はそんなに高いものではありません。こんなにいただくわけにはいきません」と主人。「いやいや、これには四分銀の価値がある」と言って無理に押しつけて帰りました。するとこの鍔をみた門人たちが、「これはいい。すばらしい。ゆずって欲しい」としきりに言うので、履軒は一人の門人にゆずりました。四分銀だという履軒に門人は、「八分銀の価値がある」と無理に八分銀をわたしました。  私なら「儲かった」と喜ぶのですが、履軒は骨董屋に行き差額の四分銀を、ことわる主人に無理にわたしました。また主人は、履軒の家を探し、せめてものお礼にと鯛などの鮮魚をだまって置いていったということです。  人間、自分が受けること、自分が利益になることを求める中で、履軒、門人、そして骨董屋の主人ともに、「ゆずる、与える、分かち合う」という、何か清々しさを感じますね。キリストは『与えるは受けるよりも幸いである』と言われましたが、それは自分たけがということではなく、周りの人々に関心を持ち、自分にできることを、自分にあるものを分かち合っていくという心なんですね。

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