個人と調和
コラムニストの笠巻勝利氏が、自分の体験を語っていました。中学生の社会科の時間に、先生が「福岡県を書きなさい」という。九州地方の地図を見ながら、何とか書き上げると、続けて大分県、長崎県と九州全県の地図を書けということです。書き上げると、各県の地図を一枚一枚切り取り、九州全体にしなさいという。各県の地図を合わせていくと、県境がピッタリ合うような状態ではない。隙間が大きく空いたり、逆に重なってしまったりと。次の時間に、今度は山口県の地図を書けといわれたそうです。そこで、今度はうまくやるぞと考え、まず中国地方の全体の面取りをして、その上で、各県を書き上げたということです。
その時の体験を振り返って笠巻氏は、合成の誤謬を学んだと言います。合成の誤謬とは、部分部分では正しくても、全体では間違いであることです。すなわち、木を見て森を見ずということです。個も重要で大事にしなければなりません。しかし、一つにとらわれると、全体の調和を崩してしまうということですね。個と全体の調和を目指すことが大切ですね。
聖書は、「私たち一人ひとりはキリストの体の一部分、一器官であり、それぞれが大切なものである。どの部分も同じように大切である。そして、各器官が一つとなって身体を築き上げている」と教えています。一人ひとりの存在がなくてならない大切なものであると同時に、一人ひとりが全体の中で調和することも大切なことなのですね。
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